日本の春と言えば、桜。桜と言えば、「日本の心」と言うことになっている。でも日本の心って何だ?そもそも、何故、梅が日本の心であってはいけないのか?つくしやフキノトウでは役不足なのか?何故日本の心が何であるかはよく分からないが、桜は愛されている。三月にもなればテレビ局はこぞって開花情報を流すわけで、もう日本中で「彼ら」が来るのを待ちわびる。そして各局の看板アナウンサー達は、「明日から降り出す雨の影響はあまりないでしょう」と肩を撫で下ろしたり、「東京は明日が満開です」とこの上ない喜びの表情で伝えてくれたりする。

 そう。春になると人々はそわそわし出し、とにかく「彼ら」の動向に一喜一憂する。大変な盛り上がり。「彼ら」は少々甘やかされすぎなのではないか、と心配する程の愛が注がれている。それならば、あの細くつつましいながらもしっかりとした根から淑やかに咲く梅に対してもっと愛をくれて欲しい。そう、私は梅愛好家なのだ。でも、どうせ梅の開花予報がテレビで流れることはあるまい、と相変わらず屁理屈だらけの私。

 そして、今年もその季節がやってきた。大学通りは連日大賑わいだった。老若男女、これだけの数の人が上を見上げて皆が口を開けている状況に遭遇することはそれ程多くはあるまい。もちろんそれはアホに分類される類の大口ではない。大物だからできる術に対する技への敬意なのだ。あれだけ屁理屈をこれでもか、これでもかとこいた私も、「彼ら」のその悠然とした姿に言葉を無くした。やっぱり「彼ら」はすごかった。十分、大口開け委員会の立派な一員だった。口は開いたままふらふら歩いた。真っ直ぐ前を見ないものだから歩行は酔っ払いに限りなく近い。私は「彼ら」の虜になった。という訳で、「桜の名所」と呼ばれる場所に足しげく通った。

 その中でも一番気に入ったのは新宿御苑だ。王道のイメージもあるが、お金を払って入場する公園の良さはきちんと管理されているからこそオアシスとしての立派な役割を果たしてくれている。特に新宿御苑には珍しい種類の桜も多く植えてある。ソメイヨシノの開花に始まり、時期をずらして様々な桜を楽しめる。先週の土曜日にバイゴジジュズカケザクラを見に行った。この桜は、新宿御苑で見られる桜のラストになると言う。この桜は、一般に私たちがよく目にするソメイヨシノよりも少し大ぶりで、大変華やかだった。

 そしてもう一つ。新宿御苑が大変美しい場所であるのは、その立地にある。日本庭園は伝統的な日本の自然の風景を保ち、なんとも言えぬ静寂に包まれている。そう思って顔をもう少しあげれば、そこには大変近代的な建物が並ぶ。そのコントラストこそに美学を感じる。

 さて、上で「桜=日本の心」のメタフォーが使われることを記したのだが、これは別に「日本人の心」ではありえない。それを証拠に、新宿御苑では日本人もさることながら多くの外国人を見かけた。旅行者もいれば、おそらく東京に住んでいるであろう人々も多く見かけた。日本庭園の芝生でお母さんたちが子供を遊ばせ、その横で白人のカップルが熱心に本を読む。池にかかる橋を高齢の男性がゆっくり渡る。その背景には新宿の高層ビルが拡がる。世代も国境も超えていた。何とも不思議だが大変良い気持ちになった。人々が美しさを共有し、感じ、心を打たれたその世界は案外リアルだった。

 色々言ったけれど、やっぱり「彼ら」は素敵だと今春再確認した。美しいと感じることをこれだけ万人に提供してくれる大物だった。

【三木はる香】