最近しばしば「カフェ」に足を運ぶ。本を読んだり、学の勉強をしたりを家でやってもどうもはかどらない。けれど、図書館にいつもいても昼寝の時間が増えるだけ。ということで、「カフェ」は家よりは緊張感があるが落ち着いて過ごせるので手頃なのだ。

 では、周りの人々はどうしているのかというと、お喋りには格好の場所のようだ。世の中は2003年。井戸端会議などはもう昔の話で、外でお喋りをするなんて、ご法度だ。太陽の下だなんて、白い肌を守りたい人々には自殺行為以外のなにものでもない。だからこそ、国立マダムたちは朝には決まって大学通りのスターバックスコーヒーにやってくる。彼女らがいれば、当然聞こえてくるのはマダムの高らかな笑い声や子供の教育相談位なものだ。だが、マダムらがいなくなって初めてジャズの「お洒落な」BGMが静かに流れているのに気づく。

 前置きが長くなったが、私は前々から「カフェ」とBGM、すなわちバッググラウンド・ミュージックの関係って結構面白いなと思ってきた。スターバックスといえばジャズ、エクセルシオールといえばジャズの中でもボサノバ、ドトールやコーヒー館はクラシックやポピュラーソングのインストルメンタルが多かったりする。BGMは各店が提供する雰囲気が目指すものを見る一つの指標なのだろう。ただコーヒーやサンドウィッチを食べるためではなく、こうした雰囲気を求めて人は「カフェ」に行くのだと思う。

 この意味でスターバックスは大成功をおさめたのだろう。スターバックスと言えばお洒落な空間の代名詞みたいになった。スターバックスのファンブック、攻略本まで発売される騒ぎだ。一部の女の子の間ではロゴ入りのバッグが大人気になったらしい。今でこそどこの町にもあるが、この空間にはある種のプレミアム的な雰囲気が漂っていた。そこに行けば、気の利いた音楽を聴き、大きなソファに腰掛けてコーヒーを飲んでくつろぐことができる。「気の利いた音楽」にスターバックスはジャズを選んでいる。ジャズって、少し影があって重厚でセンスもいいのに今まであまり聴く機会がなかったから新鮮、ということで大当たりとなる。商魂たくましく、オリジナルCDまで販売される。セレクションとしては、往年の名プレイヤーからも多いしクリスマスなどの季節ものもしっかりある。

 しかし、私はふと思うのだ。私は音楽の中ではジャズが結構好きで、所有のCDやLPの多くはジャズ音楽だ。時々、おじさん臭いジャズバーに行って大喜びしている人間だが、果たして「カフェ」で流れるそれと、一人で好きなCDを手にとって聴いたりジャズバーで聴くそれが全く同じものかと言えば、これはかなり疑わしい。まず第一に、これは音楽ならば何でもそうだが、一曲だけで終わりではない。どういう順番でどのような選曲がなされているかは重要だ。それに、ジャズって少し暗めの照明の部屋で聞きたいとか、反対にお天気の昼下がりならばボサノバを聞きたい、など時間的な適合性もあるのではないか?最後にこれもやはり音楽ならば何でもそうなのだけどライブの音に勝るものはない。

 特にジャズはプレイヤーやその場にいる人々の感情やダイナミズム、鼓動を直に感じられる音楽だと思う。全く同じ曲を演奏するにも決まりは殆どない。唯一、ある一定のコードやメロディーが少し存在するだけだ。それ以外は状況に応じて、ミュージシャンが完全にコントロールできる。こういうことを知っているお客さんが「カフェ」の中にどれだけいるだろうか?

 私はスターバックスでジャズを流すことが悪いとか言いたいのではない。しかしここで私が怖いのは、全てが「ビジネス」の一環となり、「商品化」することで、ジャズ音楽が本来持っていた美しさを失っていってしまうことにある。どういう背景でこうした音楽が生まれ、どういう人の手から生まれていったのかは知る由もない。なんとなく「かっこいい」イメージばかりが先行してしまっている気がしてならない。しかし、音楽本来の意味が薄れてもお店の雰囲気自体が悪くないのだから誰も「商品化」なんて問題にしない。だから「カフェ」は流行するし、「お洒落な空間」としてのイメージを着々と構築していく。私自身カフェのヘビーユーザーだから文句も言えないのだが、なんだかやっぱりやるせない。

 さて、日によって「カフェ」を変えてはどこかに出没している私だけれど、時々「喫茶店」に行く。それは、明らかに「カフェ」とは違う。お店は古いし、小さなドアがあるだけだからなんとなく入りにくい。値段だって少々高い。ビジネスとしては全くよろしくない。

 けれどその場所は私を魅了してやまない。歴史を感じる外観も、マスターのいつもの笑顔も別格だ。古いシャンソンが流れ、時計や人形などのデコレーションが至るところに置かれ、イスとテーブルがところせましと置かれたその場所には独特の時間が流れる。外の喧騒など気にしている気配はない。その国立の喫茶店「邪宗門」は不思議な場所だけれど、BGMはいかにもマスターが選びそうなものだし、人間臭さをこれでもかという程感じる。大体、フランスシャンソン歌手、エディットピアフの曲がしっくりくる現代日本の店なんてそう多くはない。

 では、どの「カフェ」も邪宗門を見習うべきか?それは無理だ。だって、世界はいかに生産的にコストをおさえて利益を上げるかが問題だもの。「商品」としての雰囲気、環境、BGMが消費者に受ければいいじゃないか?実にシンプルで分かりやすいじゃないか。直接的で素直だ。悪いのは「カフェ」じゃない。要は、「消費者」が「消費者」だと認識することだ。「商品」を購入していることを認識することだ。その雰囲気を作るBGMさえも商品だと。それを理解せずに、環境を丸呑みしてしまうことが、案外危ないのだ。

【三木はる香】