先日、ウズベキスタンに行った。前々からシルクロードの国々に関心があった。中国ウイグル自治区やキルギスも素適だなぁと思っていたけれど前者は今話題(も少し廃れた?)のSARSでキルギスとの国境封鎖が行われていたり、後者は日本からのアクセスに時間がかかるので今回は無理だなということになった。

 そもそも、ウズベキスタンってどこだろう?とそういう話しから始まるわけで、地理マニアとか地図フェティッシュの人位しか正確な場所が把握できないかもしれない。かくいう私も、失礼ながら「○○スタン」の国といえば、中央アジア、シルクロード、ユーラシアの真ん中、旧ソ連、あとは歴史ではティムール、サマルカンドなんていう単純なイメージしかなかった。なんと自分は戯けなのだろう。ガイドブックを広げて驚愕。イスラーム建築のその美しさ、抜けるような空の青さ、そしてなんか女性が美しそう!すぐにウズベキスタンの首都タシケントまでの航空券とウズベキスタン大使館で取得したビザを握ってウズベキスタンに出かけた。

 ウズベキスタンは美しかった。まず最初に、町全体が「博物館都市」に指定され、ユネスコの世界遺産に登録されているヒヴァを目指した。古代ペルシャ時代からカラクム砂漠への入り口だった町だ。ヒヴァにはこれが目玉、という建物があるのではなく、城壁に囲まれた町自体が独特な雰囲気なのだ。すっかり乾ききった黄土色の町並みには、女性の鮮やかなワンピースが一際際立って、どこかの探検隊を真似たような自分の格好を少し恥ずかしく思った。時折通り雨が降り、建物は水を含むと少し濃厚な色になった。そしてまた燦々と照った太陽に、城壁の町はくっきり浮かんだ。過度な文明を知りすぎた私には時代錯誤な気がした。でも、時代錯誤な異邦人は私の方だった。

 また、「東方の真珠」、「青の都」などと言われたシルクロードの中心都市、サマルカンドを訪れた。その中で、観光の目玉レギスタン広場は、やっぱり壮大だ。旧ソ連時代に建てたと思われるがらんとした四角い建物が並ぶ新市街とは対照的に、建物はアラベスク模様で覆われた巨大なメドレセ(神学校)の荘厳さよ。冷たい風の中に、レギスタン広場は夕暮れの朱色に染まり、暗い空の下で広場の静けさを何世紀の間受け止めてきたのだろう。このレギスタン広場にあるシェルドル・メドレセには、面白いことにライオンの絵が描かれている。偶像崇拝禁止のイスラーム教義に反することで、自分の権力を示そうとした支配者が決定したらしいのだが、これはかなり珍しい。また、市場の近くにあるビビハニム・モスクは、イスラーム世界で最大だったモスク跡地だ。エメラルドグリーンのドームは、太陽を反射しながらも所々で色落ちが見られ、その隙間から小さな草が生えているのが見えた。


 さて、私はこの旅行で久々にうきうきし感激した。犯罪も極めて少ないようで安全な旅だったし、お料理だってなかなか美味だったし、アドベンチャーな要素満載だった。そして、建築物の美しさには圧倒された。でもそれだけではなかった。ブハラという町に行った時だ。イスラーム世界全体の文化的中心地として繁栄した町だそうだ。確かに、人工池ラビハウズの周りでゲームをする老人たち、水遊びをする子供達、その後ろにはイスーラムの建築物、それは何とも心地よくて、時間を気にする自分がちっぽけに思える世界だった。


 しかし、どうしても自分はツーリストの域を脱せなかった。自分ではイスラーム建築を見たいだけの大学生だったけれど、多くのローカルの人々にとっては「ツーリスト」にしか見えないのは当然だった。市場が盛んな場所で国に限らず、客引きが多くいるのは当然で、子供が働いていることもよくある。もちろん、一般論を言うのはいけないが、この町の一部の人々には、町に点在する建築物はもう「芸術」として見られるのではなく、「ツーリスト」をつかまえる格好の場所になってしまっている気がした。自分たちの固有の文化や伝統は、芸術としてくくるのではなく、ある意味ではお金を得る手段としての意味合いがとても大きくなってきている気がしてならなかったのだ。

 そして思った。いくら貧乏学生と主張しようと、自分はグローバリゼーションで優位な立場で、それを利用して、気ままな旅行ができる良いご身分な人間だ。こうしてグローバリゼーションの勝ち組が来ることは、こうした観光地化を助長し、建築物=働く場所、のイメージが増幅していくことにつながるのではないかと。

 純粋に芸術を見たいという自分の気持ちに嘘偽りはないのに、どこか空しい気がしてならなかった。目の前に建つその建築物に圧倒されるからこそ、この気持ちは募る一方だったのだ。

 資本主義にのみこまれない、そんな「ピュア」な芸術は本当に存在し得るのかしら。石ころを蹴りながら、悲しい気持ちは消せなかった。

【三木はる香】