こういうこと言うのは、ちょっと恥ずかしいけど言おう。

 私には愛している人がいる。その人を見ると、意識をするわけでもなくかわいらしい部分をさらけ出せる。料理が下手なくせに頑張ってみようかなと思う。哲学の本を読んでみようと思う。雨が降ってきたら傘を持って駅に迎えに行こうと思う。自転車で遠くまでピクニックをしに行きたくなる。風邪を引いたら卵とじのお粥を作ってあげたくなる。その人と会えば延々と話す。そして、笑って、怒って、泣く。

 ね、やっぱり恥ずかしくなるのだ。こういうことを書くと。ちょっと陳腐にもなるのだ。何だか、自分に酔っている人以外の何者でもなくなる。第三者から見たら随分面白いものだ。あんなにお熱になっちゃって、って。他人はしょせん他人。なので、他人が本当に誰かを愛しているのかなんて知ったこっちゃない。

 そこであえてこんな疑問が湧いてくる。愛している人がいますか?いい音楽を聴いたら真っ先にすすめたい、今日何をしていたのかな、って気になる人、たまに焼きもちを焼いたり焼かれたり、そんな人いますか?

 最近、私たちはクールを装い過ぎていると思う。愛とか恋とか言うのは時代じゃない。四畳半フォークの時代は終わったのだ。臭う位の愛はお断り。やっぱりあなたも私も自分の人生があるわ。それぞれ楽しみましょう。その割には、「彼女」とか「彼氏」とかいう枠でくくってしばりつける。職業じゃないのにな。そのうち名刺を持って歩き始めるのではないかと私は密かに心配してしまう。「私こういう者です、『肩書き:○○の彼女』」とか。なるほど愛は見えにくいんだけど、みんなは愛をどんな時に感じるのだろう。

 ・自分が忙しかったり、大変な目にあっている時に助けてくれるとき
 ・客観的に関係を見たとき。長く付き合うほど関係が当たり前だと思ってしまう。でも一緒に御飯を食べててふと笑っている彼女を見たとき、なかなか会えなくて彼女のことを考えているとき、愛を感じる
 ・風邪引きな私にキスしてくれるとき
 ・ほほとほほがふれているとき
 ・目が何よりも言葉を語るとき
 ・雨が降って相合傘をしたら相手の肩がびしょぬれだったとき
 ・新しい髪形や服を見たらちょっとしたコメントをくれたとき
 ・笑い以上に悲しみを分かち合えるとき
 (友人たちに突撃メールアンケート回答より)

 なんだ、結構みんな愛を感じているじゃないか!心配ご無用だったかしら。

 さて、歌にしても、絵にしても、ダンスにしても、愛がテーマになることは多い。大人たちは「恋愛なんて」とちょっと溜息交じりで言う。「昔はよかったわよね」って。彼らも本当は昔むかし恋人たちだったのにな。いつの間にか、子供が生まれて、仕事で疲れて、会話が無くなって、恋愛が封印されてしまう。もしくは無理やり封印する。

 でも、封印なんてしたくない。だって、愛は愛しいものだ。愛している人は美しいものだ。

 それに目をそむけるのは残念な話だ。私は、もっと汗臭い愛がそこらにあって欲しいのだ。でも、やっぱり本物の愛はちょっと恥ずかしい?そこで今日のアート。ファンも多いであろう、マルク・シャガールだ。

 彼は、奥さんを愛し、愛し、愛しつづける。彼の作品は殆ど、自分と奥さんの絵だ。二人で空を飛んでいたり、キスをしたり、それこそ、このクールな愛が好まれるご時世には新鮮だし、ちょっと恥ずかしい。でもね、すごく美しい気持ちになるものだ。

 先日、東京の大丸で行われていたシャガール展に行った。シャガール展と言っても、美術展ではなく、絵画の売買が目的の場だった。売買が目的だから、ゆっくり鑑賞をするという具合ではなかったが、絵はどれも幸せに満ちていた。シャガールと奥さんの愛がいっぱい溢れ出ていた。こういうあからさまな愛を見るのは、久しぶりだった。

 もちろん、私たちの素っ気無さの中にある陽だまりのような愛も美しい。でも、たまにはこんな体当たりの愛が、とても素敵だと心から思った。ついつい、微笑んでしまった。

 シャガールの絵を見てから、横を見ると、目の上の方に君の横顔があった。君は、シャガールの絵を見て美しい顔をしていた。私はそれを見て、ちょっとはにかんで、ちょっとだけスキップしながら君と手をつないだ。

 恥ずかしいのは分かるけど、たまにはこう言ってみて、「あなたを愛しているんだよ!」って。きっとその愛は、他の人にも伝わって思わずにこっとさせるから、さ。

【三木はる香】