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あるメロディーを聴いたときに、昔のことを思い出すことは誰にでもあるだろう。五感を使って覚えたものは、人間に潜在的に植えつけられるようだ。そして、そのメロディーを再度耳にした途端に、脳の「引き出し」の奥に仕舞いこまれた当時の光景が鮮やかによみがえる。私にもそんな体験がある。今でも、ボサノヴァの定番、「イパネマの娘Gorota de Ipanema」を耳にすると、ある光景を思い出す。 あれは、旅をしていた時のことだ。オランダの飛行機で、モロッコのカサブランカに飛び降りた。モロッコをぐるぐると回った後、その地から上へ進んで、ジブラルタル海峡を船で渡った。海の向こうは、ヨーロッパの南西端、スペインだった。スペイン──私は、その地に燦々と照りつける太陽と、どこまでも続く白や黄色の花畑を想像していたが、残念ながら季節はまだ春の初めだった。遠くに見える山は雪で覆われ、見渡す町はどこか寒々としていて、無機的だった。 イメージのアンダルシア地方と少し違う現実にがっかりしつつ、小高い丘の上まで登った。正面にはアルハンブラ宮殿が見えた。少し疲れたので、木を囲んだ石の上にどしんと座りこんだ。一人旅をする人なら、誰しもがこういう時間を持つことだろう。特に何をするでもない。ただ、その時間を楽しむ。とはいえ、ぼーっとするのではない。「極めて主体的なぼんやり」を味わう。 その時に、聴こえてきたのがこの曲だった。横を見れば、ジプシー気取りの男性と女性がもう一つの木の下を陣取っていた。男性はステッカーをべたべた貼ったギターケースを開き、ギターを弾き始めた。女性が、斜めがけにしたキルトのバッグからマイクを取り出し、ギターに合わせて歌い始めた。歌は、「イパネマの娘」だった。女性は、ちっとも歌が上手いタイプではなかったが、それでも魅力的だった。表情の豊かさもあったのかもしれない。あんなに、お客に構わず歌っている歌い手を初めて見た。初めは驚いたが、むしろそんな気ままな歌い手は素敵だった。 さて、「イパネマの娘」と聞いてどんな曲かピンとこない人でも、そのメロディを聴けば絶対に知っているはずだ。それだけ耳にする機会が多いし、親しみ易い曲でもある。例えば、巷の記録では、世界中で「5番目に多く演奏された曲」なんて言われている。 ボサノヴァの代表作としてこの曲が世に送り出されたのは1963年、Stan Getz とJoao Gilbertoの作品”Getz/Gilberto”で、プロデューサーが、英語の曲が当たる!ということで、英語の歌詞をつけて、それをJoao Gilbertoの奥さんが歌ったところ大ブレークした。英語と元のポルトガル語で、歌詞の深みが違うなんてことは随分指摘されているようだ。例えば、ポルトガル語と英語で、歌われている女性像の違いがある。とはいえ、バックミュージックとして聴いていれば、その有名なメロディばかりが先行してしまい、私のような素人になると、どうも詞の深みまで理解できていない。(まあポルトガル語ができないという問題もあるが) 上に述べたスペインのグラナダで「イパネマの娘」を聴いた時、私は、歌い手が何語で歌っていたかも定かではなかった。ただ、一つ言えるのは、それが極めて切ない曲に聴こえた。男性が恋している。けれど、女性はお構いなし。男性はどこか弱気で、恋が成就しないけれど、好きな女性への気持ちをひそかに歌っている、そんな溜息が漂っていた。そして、今になってその原版の歌詞を見れば、それは確かに恋に悩歌で、決して元気でタフな男性の歌ではない。 言葉も分からずに、なぜ想像できたのか?まず、歌っていた女の子だ。彼女は、明朗なのにどこか落ち着いた眼をしていた。歌っているときも、誰かに歌いかける風ではなかく、自分の世界を多いに楽しんでいた。彼女の歌声は、その背景にあるグラナダの街とも一体的でさえあった。その歌い手がいたグラナダの街は、迫害を受けながらも打たれ強い流浪の民、「ヒターノ(ジプシー)」が多く住んだ地でもあるのだ。 【三木はる香】 |