始まってすぐ、映画の放つ透明な空気感に包み込まれ、私はなんだか懐かしくてたまらなかった。この映画に出てくる人々をずっと知っていたような気がしてならなかった。それはかつて、というかほんの少し前、私も彼女たちと同じような時期を過ごしたからに違いない。それは誰もがきっと通り抜ける青春という時期である。この映画はそんな時期の持つ不安定さゆえのきらめきを繊細に描いていて、共感を覚えた。


 海に面した田舎にある女子高。3年生になり、誰もが自分の将来と向き合うことを迫られる時期、桐島カヤ子は同じクラスの遠藤雅美にふと目をとめる。2年生の時に、何かの理由で停学になったことのある雅美だが、誰も理由は知らないし、雅美も周囲と積極的には関わろうとせず、淡々と過ごしている。そんな彼女に対して興味を持ち始めたカヤ子。

 2人の仲は、カヤ子が雅美を昼食に誘ったことをきっかけに、急接近する。それまでの仲間とは距離を置き始めたカヤ子は、次第に雅美を好きになっていた自分に気づく。自分より少しだけ大人びた世界を持つ雅美に少しでも追いつきたくて、もどかしい日々であった。

 自分が好きなのは雅美だと告白したカヤ子に対して、雅美は気持ちを受け入れ、すっかり心を許したかに見えた。しかし、1年前雅美に何があったのか、カヤ子は知らないままであった。夏休みに入り、停学のきっかけとなった1年前に付き合っていた男に会いに行っていた雅美と、美大に進むことを決めデッサンに励んでいたカヤ子。自分にすべてを打ち明けてくれなかった雅美を、カヤ子は許すことができなかった…。


 桐島カヤ子を市川実日子が、遠藤雅美を小西真奈美が演じている。もともと『blue』を見ようと思ったのは、小西真奈美が好きだったからなのだが、映画では小西真奈美と同じくらい、市川実日子も魅力的で印象深かった。繊細で柔らかな雰囲気を持つ小西真奈美が青春期の不安定な切なさを示しているとすれば、それとは対照的に、どことなくごつごつしてそっけない印象を与える市川実日子は青春期のまっすぐな不器用さをそのまま体現していたように思う。

 監督は安藤尋。素直でそれだからこそ時に爆発する感情の揺れを丁寧に描いていて、原作がうまく生かされていたと思う。原作の魚喃キリコの『blue』もかなりおすすめである。映画の映像的な表現とはまた異なる、淡々とした描写によるマンガならではの表現が魅力的だし、映画にはないエピソードが効いているので、比較してみるとおもしろい。

 映画を通して、いつの間にか奥の方にしまい込んでいた自分自身の高校時代を思い出した(私は都内の女子校に通っていた)。みんなが同じ制服に身を包んでいたから個性が見えにくくて、誰と一緒にお弁当を食べるかとかそんなささいなことが重要だった日々。毎日が同じことの繰り返しで退屈で仕方がなくて、私はいつも早く外の世界に出たいと思っていた。そういえば私にも、好きというかあこがれていた女の子がいた。今思うとやっぱり、彼女が自分の知らない世界を知っている気がしたからなのだろう。

 映画『blue』で特に好きなのは、カヤ子が雅美から借りた画集の絵に惹かれて独力でぶどうの絵を描き、美大へ進もうと決める流れである。雅美と離れることに気が迷い、一緒に東京へ行こうと誘うカヤ子に対して、家族を思い地元に残ることを選ぶ雅美。次第に2人の道は分かれていく。2人はお互いに影響を及ぼしあって、共鳴しあいながら成長していくが、将来を自分の意志で決めることを迫られたとき、その先に待つものは別れであった。

切ないけどいいなと思う。東京に行ったら、きっと自分のことを忘れてしまうという雅美に対して、絶対に忘れない、自分が1番に好きなのはずっと雅美だと思うカヤ子。たとえ忘れていったとしても、もうほとんど会うことはなくても、きっと2人の心の奥底には2人過ごした日々がかけがえのないものとして残り続けるのだろう。私も、あの頃大切にしていたものを思うと、今でも何か優しい気持ちになれるから。

ふと、あの頃の友達の顔を思い浮かべ、会いたいなと思った。

※映画『blue』→4/15現在、シネ・アミューズ イースト/ウエストにて公開中

【白土翔子】