木場の東京都現代美術館で開催中の船越桂展に行ってきた。彼の木製の彫刻は「永遠の仔」の表紙に使われていたので、覚えがある人も多いだろう。私は以前から、その彫刻の持つ独特のたたずまいや、どこか遠くを見つめる視線に惹かれていた。

 会場に入ってまず彫刻たちの強い存在感に圧倒される。彫刻なのに、まるで生きているかのような強い生命力にあふれているのだ。すべての作品は森から切り出された楠の原木を彫りこみ彩色したものである。木が作者の手で人間のかたちに彫られるうちに、別の生命を宿したかのようだ。

 初期の作品には、どこか痛々しいほど繊細でイノセントな表情を持つものが多い。特に印象的なのは、大理石でできた澄んだ薄い色の目である。その目の焦点が定まっていなかったり、背筋を縮めていたり、いずれにしろどこか病んでいるような印象すら与える。彼らは、金やスピードを何より重視する現代社会に倦んでいるかのように思えた。

 そこから次第に、モデルとなった人物1人1人の個性を全面に出した作品が増えてくる。彼らはどこかで見たことのあるような親近感を起こさせる。そして優しい表情だったり、少し厳しい雰囲気だったり、1つ1つがモデルの個性を捉えて微妙に違っている。作者のメモに「私にとって作ることはほとんど見ることであり、今まで見ることのできなかった何かを見えるようにすることかもしれない」という言葉がある。作者は作品を作る過程で、モデルの外見だけでなくにじみ出てくる雰囲気を手がかりに内面の端っこをつかみ取ろうと熱心にモデルを観察したに違いない。作者は作品を作ることを通してモデルとコミュニケーションしていたのではないだろうか。

 「存在感に対する驚きはなくなっていく 常に惹きつけること 驚きや新鮮さを備えること」という言葉の通り、後半に進むにつれて作品は、山などの自然と人物を一体化させたものや、普通にはありえない位置に手をつけたものなど、斬新な試みを加えたものが増えてくる。初期のシンプルな作品とどちらが好きかは個人の好みによると思う。しかし、そこには常に作品を向上させていこうと模索を続ける1人の彫刻家の葛藤が直に読み取れる。

 展示を通して、作者の言葉に対するこだわりが印象深かった。作品にはどれも、「積んである読みかけの本のように」「澄みわたる距離」のように、まるで詩の一節のような凝った題名が付けられている。それは時に飛躍しすぎていて作品とイメージが結びつかず、かえって混乱してしまう場合もあった。作者は「題名によって、その世界がうわっと広がって、また、見ているひとがさらにその世界をひろげるような題をつけたくなったのです」と述べている。彼の展示を見て感じたのは、彫刻というものは、モデルという実物を伝える以上に、何かメッセージを伝えることができるのではないかということだった。その一方で、彫刻ではイメージの果たす役割が大きいために、抽象性も高くなると思う。

 本当は見る側が自由に作品を味わい、心に何か新しい感情が生じるだけですごいことだと思っている。だけど、作者が作品を通して何を伝えたかったのか、少しでも真実に近づきたかった。彫刻と言葉を駆使して作者が私たちに届けようとした思いはなんだったのだろうか、最後まで気になって仕方なかった。

 「Katsura Funakoshi Works: 1980-2003」 
 2003年4月12日(土)〜6月22日(日)
 東京都現代美術館
 〒135-0022 東京都江東区三好4-1-1 木場公園内
 TEL 03-5245-4111(代)

【白土翔子】