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 7月 2日(火)のコラム

二流いかに生きるべきかA ―北条氏政@

 このシリーズではじめに取り上げるのは北条氏政(ほうじょう うじまさ)である。私の地元の戦国大名である。

 ここでいう北条氏とは戦国時代、北条早雲を始とし、5代目北条氏直のときに豊臣秀吉に攻めこまれるまで、小田原を拠点とし関東に覇を唱えた大名である。鎌倉時代の執権北条氏とは血のつながりはない。

 さて、この北条氏。初代・北条早雲、二代・北条氏綱、三代・北条氏康までは、名君、名将としての誉れが高い。対して四代・北条氏政、5代・北条氏直は、北条家を滅ぼした暗愚な者として評されることが多い。特に氏政については芳しくなく、さまざまな記述やエピソードがある。

 たとえば江戸時代にかかれた「小田原旧記」という書物があるが、そこでは三代・氏康をこのように褒めちぎっている「文武を兼ね備えた大人物で、一代のうち何度も合戦をしたが負けたことがない。その上人徳があって良く家法を発揚したので、氏康の代には関八州の兵乱を平定し、大いに北条の名を高めた。その優れた功績は古今の名将というにふさわしい」。それに対して氏政には「愚か者で国政を乱した」とある。

 また氏政の愚かさをしめすエピソードとしてこんなものがある。有名な味噌汁の話であるが、少し引用する。

 ある朝、北条氏康は嫡男氏政をはじめ重臣らと食事を共にしました。突然、氏康が嘆きます。「あ〜、北条の家も私の代で終わりだな」。その嘆きを聞いた重臣たちは首を傾げました。そこで氏康が答えます。「いま、氏政は御飯に汁をかけた。しかし、足りないと言って、もう一度汁をかけ直す。すると、今度は汁をかけ過ぎたと言う。食事は毎日、最低でも2度行う。ところが氏政には、未だに御飯にかける汁の量を推し量れないでいる。そのような不器用な人物に、内にある人の心を推し量り、目利きすることができるであろうか。だから、北条の家は私限りで終わると言ったのだ」(北条5代物語 より )

 もう一つ、甲陽軍鑑という書物にあるエピソード。

 氏政がある戦の途上、腹が減ったので傍らの麦畑を指し示した。
「麦飯にして持ってまいれ」と言うのである。

 この話を聞いた武田信玄は大いに笑った。
「氏政という人は大身のせいか、かようなものを食したことがないのであろう。麦というものは、刈り取ったあと、穂をこき落とし、こなして、干して、ついて又干して、その後で水を注いでさらにつく。日にさらし、水にひたしてよく煮て、はじめて麦めしになるものなのだ」(戦国群像/戦国Xファイルより)

 これらのエピソードが事実か否かはわからないが、ともかく氏政はこのように低く評価されている。

 さてその氏政を今回から2流の人として分析していくが、今回はかるく氏政の生涯に触れておく。

 氏政は1538年、氏康の次男として生まれる。16才のとき、武田信玄の娘・黄梅院(12才)と結婚する。1559年、氏政21才の時、氏康から家督を相続する。もっともそのあとしばらくは氏康が実権を握るのだが。

 その後、上杉謙信や武田信玄、佐竹義重ら強豪大名らと互角以上に渡り合い、北条家最大の勢力を築きあげる。また、所領役帳を作成し、家臣団の掌握につとめた。

 北条氏政は、やがて息子・氏直に家督を相続する。そのあとも御隠居様として実権をにぎっていたのだが。しかし1590年、豊臣秀吉の小田原侵攻が始まる。北条氏政は篭城による徹底交戦を主張。北条家は敗北し、氏政は切腹する。

 こうしてみてみると、氏政が愚かだというのは、最後の一点、豊臣氏となぜ徹底交戦することを唱えたかである。豊臣氏は、毛利、長宗我部、島津ら大大名を下し、もはや無敵の勢いであった。それなのになぜ、北条氏政は無謀にも豊臣秀吉に刃向かったのか。ここに、氏政の内面を探るヒントがあるように思える。

 このあたり、次回掘り下げていく。

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