![]() 天下国家からトイレの中まで 斜め45°に眺めるコラム 「社会の窓が開いてるよ」 7月 9日(火)のコラム 二流いかに生きるべきかB ―北条氏政A 7月5日は、小田原城に篭る、北条勢が秀吉の前に降伏した日である。1590年のことである。 本能寺で信長が死した後、山崎の合戦で明智光秀を討ち、賤が岳の合戦で柴田勝家を倒し、事実上、信長の後継者となった秀吉は、さらに中国地方の毛利氏を傘下に収め、四国の長宗我部氏、九州の島津氏を下し、日本の西半分を掌握し、天下統一は時間の問題という状況であった。 そのころ、北条家の当主は、五代目・氏直であったが、四代目・氏政も健在で大きな発言力をもっている。北条家の支配は関東のほぼ一円に及び、北条家はこれまでで最大の勢力になっていた。 さて、話は前後するが、1586年、小牧・長久手の戦いの後、家康が秀吉に臣下の礼をとると、秀吉は北条家に対して再三上洛せよと命じる。北条家では、この上洛に応じようとする北条氏規(ほうじょううじのり。氏政の弟)ら和平派と、上洛の命令を無視すべきとする氏政や北条氏照(ほうじょううじてる。氏政の弟)、北条氏邦(ほうじょううじくに。氏政の弟)ら強行派とで、意見が分かれていた。1588年には、和平派である氏規が秀吉と接見している。 しかし、1589年、強行派の北条氏邦の重臣・猪俣邦憲が、真田氏の領地である名胡桃城に侵攻。これを知った秀吉は、「惣無事令(そうりょうぶじれい。各大名間での戦いを私的戦闘とみなし、やめない場合は秀吉が仲裁するというもの)」に違反したとして、北条氏に宣戦布告する。 その後、小田原城は陥落するわけであるが、しかし、私には一つ謎がある。この間、氏政は、あくまで秀吉に対し強行に臨み、徹底抗戦すべきと主張している。当主の氏直自身は和平派であったのにもかかわらずにである。 なぜ、氏政が秀吉と戦うことを主張したのかが、どうにも腑に落ちない。 これまでよく言われている理由は以下のようなものである。 1.成功体験への固執 小田原城は、これまで上杉謙信の度重なる侵攻に対して持ちこたえ、難攻不落の城と思われてきた。また、以前には織田信長家臣の滝川一益の侵攻を撃退したこともあり、北条氏政は「誰がせめてこようとも、まけるはずがない」という根拠なき自信を抱いていたのではないか。 2.秀吉についての情報不足 北条氏政は、秀吉の大躍進についてきちんと把握していなかったのではないかというもの。秀吉の四国、九州征伐の実体を十分に研究したのかどうか。北条家はこれまでも中央に対する情報アンテナが十分でなく、このときも婚姻関係にあった徳川家をとおしてでしか秀吉に関する情報を得られなかったのではないか。 3.プライド 成り上がりものである秀吉にたいして、これに頭を下げるということを氏政のプラ イドがゆるさなかったのではないか。(それをいうなら、北条家ももとは成り上がりもの ではと思うが)。 4.東国連合構想への期待 北条家は徳川家と婚姻関係にあり、また奥州の伊達政宗とは頻繁に手紙のやりとり がされており、北条家はこの両家と三国同盟を結び、秀吉と対抗しようとしていたのでは ないか。もっとも、小牧・長久手の合戦のあと家康は秀吉の傘下に入り、伊達政宗も、小 田原包囲中に秀吉のもとに参陣したため、この構想が実ることはなかった。 5.関東は独立しているという気風 もともと関東地方はこれまで独自の文化を築いてきており、京の文化が箱根を越え て伝わってくることが少なかった。それは政治にも反映されており、北条家はこれまで朝 廷に対してほとんど工作も行わなかった。それゆえ、秀吉の侵攻に対して「関東は独立し ているのだ」という意識が高まり、抗戦を選んだのではないか。 以上よくいわれている事由をあげてみたが、どうもしっくりこない。これだと、北条家 が、抗戦を選んだ理由はわかるが、氏規らが和平を選ぼうと主張していたが、氏政がなぜ 抗戦を主張したのか。なぜ、氏政がということがわからない。 そのあたりを次回、父・氏康との関係から分析できたらな、と思う。 【を】 |
|
2002年度 7月 2日のコラム(二流いかに生きるべきか ―北条氏政@) 6月25日のコラム(二流いかに生きるべきか ―始めに) 6月18日のコラム(しょんべん電車・うんこ電車) 6月11日のコラム(イノベーションラブホ) 6月 4日のコラム(W杯の痛い人々) 5月28日のコラム(当世就活気質) 5月21日のコラム(時と場所というもの) 5月14日のコラム(レディス4的人生論) 5月 7日のコラム(若年寄の繰言) 4月30日のコラム(メディア法案報道) 4月23日のコラム(知的好奇心と風俗) 4月16日のコラム(鈴木宗男的就職活動) 4月 9日のコラム(事実は小説よりも奇なりか) 4月 2日のコラム(山県と退き際) 3月26日のコラム(ウイルスと地名と辻本清美) 3月19日のコラム(奢れるメディアも久しからず) 3月12日のコラム(鈴木宗男観) 3月 5日のコラム(就職活動日記) 2月19日のコラム(オヤジとオリンピックと銭湯) 2月12日のコラム(昭和の暗殺と平成の報道) 2月 5日のコラム(ニュースの多い日) 1月29日のコラム(更迭劇と海援隊) 1月22日のコラム(「恋愛術」VS「KANON」) 1月15日のコラム(岡崎日記) 1月 8日のコラム(イヤサシ) 1月 1日のコラム(テニサーはなぜ嫌われるのか(後編)) 2001年度 12月25日のコラム(テニサーはなぜ嫌われるのか(前編)) 12月18日のコラム(スマートな世代ですか) 12月11日のコラム(体育会的WEBサイト) 12月 4日のコラム(三方一両馬鹿) 11月27日のコラム(ニワトリ教育論・論) 11月20日のコラム(親友といふもの) 11月13日のコラム(ミスコン論) 11月 6日のコラム(高杉晋作的商店街復興) 10月30日のコラム(ダンゴ虫と立川場外馬券売り場) 10月23日のコラム(性風俗社会学I) 10月16日のコラム(学園際を盛り上げたいけれど) 10月 9日のコラム(性風俗社会学H) 10月 2日のコラム(一橋社会学部はどうして「クソ」だといわれるのか) 9月26日のコラム(性風俗社会学G) 9月18日のコラム(汚い事に段階的に触れる教育) 9月11日のコラム(性風俗社会学F) 9月 4日のコラム(足利義昭と連合) 8月28日のコラム(性風俗社会学E) 8月14日のコラム(今年はやりのケツ見せズボンと鹿鳴館) 8月 7日のコラム(性風俗社会学D) 8月 2日のコラム(タレント候補) 7月24日のコラム(スタンプカード) 7月17日のコラム(性風俗社会学C) 7月10日のコラム(性風俗社会学B) 7月 3日のコラム(性風俗社会学A) 6月26日のコラム(性風俗社会学@) 6月19日のコラム 6月12日のコラム 6月 5日のコラム 5月29日のコラム 5月22日のコラム 5月15日のコラム 5月 8日のコラム 5月 1日のコラム 4月24日のコラム 4月17日のコラム 4月10日のコラム 4月 3日のコラム 3月27日のコラム 3月20日のコラム 3月13日のコラム 3月 6日のコラム 2月27日のコラム 2月20日のコラム 2月13日のコラム 2月 6日のコラム 1月30日のコラム 1月23日のコラム 1月16日のコラム |
|
|