SKの出鱈目哲学
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「ハモる」という言葉がある。複数の音を一致させて調和するといった意味合いであり、その語源となる言葉がハーモニー(調和・一致)であるのは言うまでもない。 「ハモる」は音楽関係、特に合唱関係で使われることが多い。複数の人声を一致させる(つまり合わせて唱える)合唱という音楽形態にとって、「ハモる」という言葉は非常に使い勝手の良い言葉なのだろう。大手の合唱団でもよく使われる言葉となっている。 しかしクラシック音楽評論家の宇野功芳はこの「ハモる」といった言葉を徹底的に非難している。(1)宇野は、現代音楽の多くはいかに上手に演奏できるか、美しい音を出せるかといった表面的な演奏に囚われて、表現者自身の感性で音楽を演奏する(つまり心を込めて演奏する)ことが軽視されていると主張している。彼は「ハモる」という言葉を非難するのは、音楽において演奏者の感性に基づく思いを表現することを無視してただ音合わせに終始している現状を象徴しているからである。 音楽はドレミファソラシドという7つの音符を基本とした音の組み合わせから成立している。しかしそれらの音を鳴らしているだけでは音楽において芸術表現ができるわけではない。音楽を演奏する際において音は表現のための媒介に過ぎないのであり、演奏者がただの音符を自らの感性によって解釈して表現することを通じて、はじめて音楽を演奏することの意味が生じるのだ。 演奏者が何らかの表現をすることによってはじめて優れたパフォーマンス(表現)が生み出されるとしたら、ハーモナイゼーション(調和させること)は優れたパフォーマンスを生み出す一手段ではあるかもしれないが、それそのものが優れたパフォーマンス(表現)が生み出す要因ではないということになる。「ハモる」という動詞では、ハーモナイゼーションが目的のすべてになり、パフォーマンスが放棄されてしまう。そこから生み出されたパフォーマンスは表現者の特徴がない没個性的で機械的な無意味なものとなり、しいてはパフォーマンスの質そのものの低下につながる結果となる。 このように考えると、「ハモる」という言葉は使い勝手こそ良いものの、内にパフォーマンスを平坦で質の低いものにしてしまう可能性を秘めた実にやっかいな言葉(というより概念)ということになる。それでも「ハモる」が音楽だけの話に留まっているのならばまだ救いはあるのだろうが、困ったことに「ハモる」は現代社会にも当てはまる概念となっているのだ。 「ハモる」という概念が社会全体を覆うようになった背景には、情報化社会の到来と民主主義社会にある。人間が処理できる能力をはるかに超えた情報が社会に氾濫するようになって人々の価値観は多様化したため、これまで人々の生活を支えてきた社会全体を支配する規範は崩壊した。しかしこれまで人々、つまり大衆、はこの規範を基に行動してきたため、社会でどのように生活していくかが分からなくなってしまった。 こういう場合は、これまでの人々の生活から蓄積されてきた経験(つまり伝統)を踏まえた上で社会状況を的確に把握した一部のエリート層が社会的規範を創造して大衆を導いていけばよい。明治維新や戦後復興の例からも分かるとおり、日本でも従来の社会規範が喪失した際には一部のエリートによるリーダーシップによって社会は築き上げられてきた。 しかし民主主義社会では大衆が主権者であるため、大衆を導く一部のエリートは存在しえない。大衆の意向に沿わないエリートは、大衆の意向によって社会の表舞台から退場させられてしまうからである。しかし既に述べたように大衆の生活の基点となる社会規範は喪失しているため、大衆の意向そのものが多種多様にわたってしまい、新たな社会規範を建てることは困難である。しかも主権者が大衆という平等な集合体であるため、そこから生み出されたどの価値観にも序列をつけることができない。 結局、大衆の多種多様な価値観をハーモニーさせて一つの方向性を打ち立てていくしかない。前述の通り、一つ一つの価値観に先天的な序列をつけることはできない。そのため数の多さで採用する価値観を決定して、その決定事項を周囲に納得させるという民主主義的過程によって社会の方向性が決定される。 ただここで行われているのは多種多様な価値観をハーモナイゼーションすることのみであり、その結果生じたパフォーマンスが真に社会を良き方向に導くかどうかを議論しているとは限らない。そもそも社会規範が崩壊している中において判断の拠り所をなくした大衆の価値観であるため、その価値観が真に社会にとって判断することはできない。こうして社会の方向性を定める課程はハーモニゼーションで終わってしまい、その結果本来は優れたパフォーマンスを生み出す手段にすぎないハーモナイゼーションが最終目的化、つまり「ハモって」してしまうのだ。 このハーモナイゼーションの呪縛から抜け出すのは容易なことではない。社会規範の喪失からくる悪循環こそがハーモニゼーションの呪縛だからだ。情報の流動を制限する、民主主義を廃止するといった手段はあるにはあるが、これが不可能なことは明らかである。そうすると大衆一人一人がかつてのエリート層のように、伝統を踏まえて社会状況を正しく把握して社会規範を再度構築していくしかない。もちろんこれも茨の道であろうが。 参考文献 (1)「名演奏のクラシック」宇野功芳著(講談社現代新書) 参照 【開発俊輔】 | |