SKの出鱈目哲学
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(今回は「私の好きな街苦手な街」の後編を掲載する予定でしたが、鴻池発言というタイムリーなネタがあったため、「私の好きな街苦手な街」の後編は次回に延期します) 「(12歳少年の)親は市中引き回しのうえ、打ち首にすればいい」 「(四人の女子小学生が)加害者なのか被害者なのかよく分からない状況だ」 ここ最近連続して起こった凶悪犯罪、長崎12歳少年男児殺害事件と渋谷少女4人監禁事件、に対する鴻池祥肇・防災担当大臣の発言である。 確かに物議を醸しそうな発言である。「打ち首」という時代錯誤の語句の使用や、4少女が加害者だと示唆する発言は、世間から非難を浴びても仕方がないだろう。 しかし発言そのもののまずさはともかくとしても、私は発言の趣旨そのものにはそれほど違和感を覚えない。むしろ共感すら覚えるのだ。何故だろうか。それは事件の背景や鴻池発言の全貌を考えると明らかになってくるだろう。 まず一つ目の「打ち首」発言についてであるが、前述の通り、「打ち首」という発言そのものは大いに問題があるのは明らかである。鴻池大臣は「東映映画が好きだから」と釈明したが、この説明は多くの人を納得させるには不十分である。公の立場たる大臣が不用意に言っていい発言ではないのは明らかである。 しかし鴻池大臣は「打ち首」発言の前にこうも話している。 「(テレビなどは)嘆き悲しんでいる家族、棺を担ぎ出す若い両親、こればっかり映して、犯罪者の親を映していない。全部引きずり出すべきだと僕は思いますよ。14歳以下の子は犯罪者として扱われないんだから。保護のもとにある。その保護者が親ですから、親なり、担当の先生なり、校長先生なり、これ、全部前に出てくるべきだと思いますよ」 この部分を読むと、「打ち首」発言の印象も随分と変わってくるのではないだろうか。殺人犯の少年は12歳であり、現行の少年法では保護されるばかりで罪を咎められることは一切ない。それに対して被害者の親は、愛する息子を失うわその悲しみも全国に放送されるわで一向にいいところがない。しかも被害者の親は少年法の壁に阻まれて加害者が誰なのかも分からないし、責任能力のない殺人犯本人から何の謝罪もない。 これは明らかに不条理である。被害者側は失う一方であるのに対して、加害者側は法律によって厚く守られているのだ。加害者本人が責任を取れない(というより取らない)のならばその保護者が出てきて被害者側に謝罪せよ、といった主張そのものは極めて正当なものである。そう考えると「打ち首」発言の趣旨そのものは別に非難すべきものでもないと思われる。 二つ目の「加害者か被害者か分からない発言」であるが、この発言そのものは大変にまずい。何故なら4人の女児は加害者ではないからである。胡散臭い掃除のバイトに参加しただけで誰にも害を加えてはいないからである。その意味では、4人の女児を加害者扱いするこの発言は間違っているということになる。しかも「打ち首」発言と違い、こちらは18日の衆院予算委員会で「打ち首」発言を問いただされた際に、何の前触れもなく出てきた発言であり、背後に深い意味もない本当の失言である。 このままでは単なる失言なのだが、この発言を一部修正すると個人的にはすっきりくる。 「(四人の女子小学生が)被害者なのかよく分からない状況だ」 「4人の女児は本当に被害者なのか」といった点に注目して「加害者か被害者か分からない」発言を修正してみた。確かに4人の女児は監禁されるといった害を被った点では被害者である。 しかしその害は果たして不可避のものであったのだろうかというと、否である。都市において犯罪の罠が潜んでいること、そしてそれに巻き込まれる人間が低年齢化していることは周知の事実となりつつある。女児達はそのことを知らずに掃除バイトに参加したかもしれないが、それは知らないほうが悪い。 そもそもこの4人の女児は自分から犯罪に巻き込まれる可能性の高い罠に嵌っていったのであり、完全な自己責任である。タバコ吸って肺ガンになったからといってタバコ会社を訴えたり、マクドナルドのハンバーガーを食べて肥満になったからといってマクドナルドを訴えたりする論理が通用するのか、いやするわけがない。 この女児達を守るたった一つの根拠、女児達は子供で責任能力がない、という一点である。責任能力がないから、女児達は被害者だというのが一般的な社会における解釈となっている。これはその通りなのだが、女児達の行動(女児達そのもののは責任能力はない)にも一抹の責任はあるのだから一方的に社会が不運の被害者というレッテルを貼り付けるのもまた極端な話ではないだろうか。また女児達そのものに責任がないのならば、女児達を保護している親の責任になってくるのではないだろうか。こう考えると、加害者の親の責任を追及するのが持論の鴻池大臣ならば、「加害者か被害者か分からない」発言も親の責任を求める持論の延長上に出た本音だったのだろうと推測できる。 鴻池大臣は「打ち首」発言以降も、加害者の親に対して責任を求める持論を展開し続けている。言葉は危ういが、持論には共感できる。これからも持論を曲げることなく加害者側の責任追及を続けていってほしい。 【開発俊輔】 | |