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 今にも吸い込まれてしまいそうだ。そんな恐怖にも似た感情に駆られ、思わず目を逸らした。鎌倉の閑静な住宅地に佇む、創作人形作家・渡邊萠さんのアトリエ。その中に所狭しと並べられた人形たちの目に宿る、静かな迫力の正体は何なのだろう。 記者:西村友梨子

point 人形作家としての日々

 渡邊さんは2人の子どもを育てながら、人形制作や一般向けの人形教室、展覧会出展などの仕事を日々こなしている。1年近くの年月をかけて、自作人形の写真集『花蝶風月』も作成した。「昼間は主婦をしているわけだから、家事や育児などの日常だけで手一杯。でも、夜になるとやっぱり人形を作りたくなるんです」。作業をするときには、1人で部屋に籠もって没頭する。

 彼女が制作しているのは、球体関節人形と固定ポーズ人形の2種類。両者ともに粘土を用いて丁寧に体を作り上げ、さらに下地・着色・乾燥などの多くの工程を経て、ようやく完成に至る点では同じ。しかし構造面においては異なる特徴が見られる。球体関節人形は、関節部が球状になっており自在に動かすことができるため、人間の体の動きに非常に近いものとなる。頭・胴体・腕・脚などの各部品を別々に作成し、それらをゴムで繋ぎ合わせるという複雑さゆえに、制作に要する期間は約3カ月。一方、固定ポーズ人形は一気に全身の形を作り上げる、シンプルな構造の人形だ。だが、それでも早くて完成に1カ月ほどかかる。

point もうひとつの自分を表現するために

 自分のペースでゆっくりやっている、と語る渡邊さん。しかし、人形作りには強いこだわりをみせる。「ポーズ、特に指先の動きには気を配ります。人形の手を見るだけでも、その作家の力量がわかってしまうんですよ」。決して気は抜けない。厳しい世界だ。制作に疲れ、何度もやめようと思った。それでも、人形は渡邊さんを引き付けて離さない。そこには、単なる「作品と作者」にとどまらない、特別な関係がある。

 「自分の分身を表現したくて。その手段として、私には人形が一番適していたんです」。人付き合いは苦手だが、本当は人間が大好きで寂しがりや。そんな彼女にとって、人形作りは自己表現の大切な手段だ。渡邊さんは美術大学在籍時に彫刻ではなく日本画を学んでおり、卒業後も制作を続けていた。しかし現実は厳しい。展覧会では落選を繰り返し、結婚後は制作に没頭することも難しくなった。そして何よりも、二次元の世界である日本画では、自分が本当に表現したいものを表しきれないということに気づいてしまった。

 そんな中、書店で偶然見かけた吉田良一(現・吉田良)氏の創作人形作品集に感銘を受け、日本における球体関節人形の土壌を築いたといわれる人形作家・吉田良氏と天野可淡氏のもとに通い始める。芸術の世界では師弟制度が根強く残っていることが多いが、渡邊さんが師事した2人は全くそのような風習にとらわれていなかった。「どんどん自分で考えて作っていきなさいと言われました。技術はいくらでも教えられるけど、一番大切な作家自身の独自の世界は教えてあげられない。自分で見つけるしかないのだから、って」。ある程度の技術を習得すると、もう独立してよいと言われた。「その後もしばしば足を運んでいたら、最後は追い出されたんですよ」と、渡邊さんは懐かしそうに微笑む。

 その後彼女は数々の賞を受賞し、活躍の場を広げていった。しかし、人形作家としても人としても尊敬する師から与えられた影響は、今も決して色あせることはない。

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point 心を映し、心を癒す

 思い悩んだ日々や尊敬できる人々との交わりを経て渡邊さん自身が変化し、それにつれて作品も変わってゆく。育児が日常生活の中心だった頃には、我が子をモデルに人形を作ることがほとんどだった。だが子供が成長して距離を保てるようになるに従い、自己表現の題材を他のものにも求めるようになる。人形は、それが作られた時点での渡邊さんの思いを具現化しているのだ。

 優しい顔、厳しい顔、寂しげな顔……。アトリエに並ぶ人形たちの表情には、どれ1つとして同じものはない。それぞれが、見る者に何かを訴えかける。

 そんな人形たちを見ていて、自分も慰められることがあるという渡邊さん。同じように、自分の人形を見てくれる人々の心を癒していけたら、と語る。「私は人形作りを商売として考えたくない。私の作品を好きになってくれる人や、自分も人形を作りたいと思って教室に来てくれる人のなかには、寂しい思いをしていたり、心が疲れていたりする人がいます。でも彼らが人形を通じて互いに親しくなり、社会に飛び出していく自信をもってくれる。少しでもそんな役に立てたら良いと思っています」

point 創作する者の持つチカラ

 決まりごとのない創作の世界は、やらねばならないことばかりが溢れた現実からの気持ちの逃げ場となりうる。そしてその一方で、心の疲れた者に「楽しみ」を与え、現実へと再び歩み出させる力を持っているのだ。そうした仕事に従事する者としての誇りを胸に抱き、渡邊さんは今日も人形たちに新たな命を吹き込む。

profile
渡邊萠(わたなべ・もえ)

武蔵野美術大学日本画科卒業。吉田良氏と天野可淡氏に師事した後、独立。
現在、人形教室主宰の傍ら自宅のアトリエで人形を制作中。

神奈川県鎌倉市梶原3-17-1
http://homepage1.nifty.com/moon-doll/

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