無限の色彩が本棚に映える。年間を通じて書店に並ぶおびただしい数の本。その1冊1冊に、本の個性を投影する「装幀」が施されている。1つとして同じものはない。書籍の核心を掴み、適切なデザインへと昇華させる――その作業を職とする人たちがいる。彼らのうちの1人、数多の装幀を手がけるグラフィックデザイナー・坂野公一さんにお話を伺った。
巡り合わせの果て
とん、と軽い音を立てて坂野さんの仕事机の上に3冊の本が置かれた。仕事場の壁を埋め尽くす装幀作品から、強く心に残っているものを選んでいただいたのだ。京極夏彦著『本朝妖怪成衰録 豆腐小僧双六道中 ふりだし』(講談社)もその中にあった。坂野さんは心なしか弾んだ声で本の紹介を始める。「この本は、独立して初めて自分の手だけで装幀したものなんですよ」
変わった本だった。形は綺麗な正方形、絹豆腐をイメージしたカバーをめくると木綿豆腐のような表紙が覗く。豆腐を載せた盆を持つ妖怪豆腐小僧の珍道中という内容にあわせ、紙も木綿豆腐の質感を表現できるものが選ばれているのだ。
机上の本は柔らかな風合いを帯びている。だが、その本を手にするまでには苦難の道のりがあった。
全ては「モノ」への興味から始まった。車、本、工業製品と、とにかく「モノ」に惹かれた。そんな坂野さんがグラフィックデザインの道へ進む決意を固めたのは、大学入試前。「純粋な美術と違って、なんとか職業にはなるだろう。とりあえず飛び込んでみよう」
飛び込んだ先には厳しい世界が広がっていた。大学在学中に、後世にまで残る本に魅力を感じ、ソニー株式会社での勤務を経て、著名な装幀家杉浦康平氏に師事。しかし何といっても門戸が狭い。修業期間は7年を数えた。三十路を越え、経済的にも苦しかった。「その時、ぜひ坂野さんに装幀してほしいっていう依頼が来たんだよ」。師の下にあった時分、来るはずのない指名依頼。今しかなかった。「渡りに舟」と独立を決めた。
幾多のデザイナーが凌ぎをけずるデザイン業界では、腕が良くても仕事にありつけるとは限らない。独立した以上、依頼主に仕事を任せてもらうだけの「理由」を自分で引き寄せなければならない。そして、その「理由」の1つは人脈の中から生み出された。友人の紹介で出会った京極夏彦さんから講談社を紹介されたのだ。これを契機に、講談社からの仕事が舞い込むようになった。
「運がよかったよ。出会いでこんなに人生左右されるんだね」と坂野さんは懐かしそうに笑う。人の縁が絡み合い、新たな扉が開けた。
直感と葛藤の狭間で
装幀の依頼を受けると編集からゲラ刷りをもらい、アイデア作りが始まる。ゲラ刷りとは、作品本文とレイアウトの完成版を印刷したものだが、多くの場合読み込む時間はない。編集から作品の内容と希望のイメージを聞くか、ゲラ刷りを飛ばし読みしただけで仕事に取り掛かる。
「まずは自分の考えたイメージを出してみますね」と坂野さんは気楽な調子で語った。ざっと目を通した作品の中で気になった部分を取り出していくと、いつのまにかデザインが作家の意図に重なっていくという。「パラ読みなのに、作家さんに『坂野さん、全部読まれたんですか?これこそ表現したかったことですよ』と言われるともうガッツポーズだよね」
作品のイメージだけでなく、形態も考慮しなければならない。ハードカバーより長く読まれる文庫版では、飽きのこないデザインを目指したり、シリーズものでは連続性と個性を兼ね備えたものを考えたりする必要がある。表紙やカバーだけでなく、見出しや帯、外箱など本の全てをデザインする場合は、本文の前にも1つの物語を添える気持ちで仕事に取り組んでいる。
完成するまでのおよそ2週間から1カ月の間、イメージの海での手探りの作業が続く。最後は直感がデザインを選ぶ。「もともとは直感を否定してたんだけどね。でも、直感でこれだ! と思ったデザインはやはりいいんですよ」。そんな紆余曲折を経て完成した装幀を編集者や作家に喜んでもらって初めて仕事は完結し、嬉しさと安堵が入り混じった気持ちが心に満ちる。
こだわりすぎないこだわり
1つの作品が内包するイメージは多彩な色合いを持つ。だが装幀に使えるのはその一部にすぎない。そのため、アイデアがまとまらないと、深みにはまってしまい抜け出すのは難しい。「なかなか答えを見つけられないんです。知恵の輪に似てますね」。そんな時は、1番好きなイメージを消すことが多い。「自分がこだわっている部分が一番邪魔だったってことはよくあるんですよ」と言葉には迷いがない。
作家との関わりにも坂野さんの柔軟な姿勢は表れている。坂野さんは「作家さんは、もう絶対的な存在だよ」と断言。どんなに気に入っているデザインでも作家が「何か違う」と言えばそのデザインは「違う」のであり、先方が納得するまで10数回にわたるやり直しも厭わない。彼にとっての装幀は作家のためのものであり、自分を貫くものではない。「多少注文に無理があったほうが、自分の価値観にとらわれない作品ができて面白いですよ」。そう語る坂野さんの目は謙虚な挑戦者の目をしている。
もともと本を読むことは得意ではなく、特定の作家のファンということでもなかった。だからこそ、自分の好みに縛られすぎない仕事ができる。「どの作品も苦手とも言えるし、得意とも言えるんでしょうね」
信頼に始まり信頼で続く
始まりは運であったかもしれない。だが編集・作家と綿密な連携を必要とする仕事が続いたのは、坂野さん自身が築いた信頼関係の賜物。「締め切りは厳守。信頼して任せていただいたものは必ず返す」。柔らかな声の根底に流れる厳しさは、仕事を得る厳しさをも物語る。
相手が表現したいことを理解し適切な形で発信する。独立してからは、その積み重ねによって次の仕事に繋がる絆を得てきた。「装幀をデザイナーの作品にはしたくない。この人なら作品を適切に表現してくれる、と思われたい。作家のためのデザイナーを目指しているんですよ」
この仕事に行き着いたことに感謝し、今まで通りの仕事をこなしていく。それこそが坂野さんの強い願いであり、貫くべき芯だ。
彼の静かな矜持が宿る「本の顔」――装幀。それは活字の海に浮かぶ灯台に似ている。
1970年生まれ。大学卒業後ソニー株式会社勤務を経て、杉浦康平氏に師事。
2003年にwelle designを設立して独立。京極夏彦著『邪魅の雫』(講談社)や
森博嗣著『φは壊れたね』(講談社)をはじめ、多くの装幀を手がける。
welle design
http://www.welle.jp/














