練習が終わり、人気の少なくなったグラウンド脇で、一人黙々とサッカースパイクのケアをしている人がいる。彼の眼鏡の奥の眼差しは冷静でありながらサッカーへの情熱に満ちていた。「ホペイロ」。多くの日本人にとっては聞きなれない言葉だ。しかし「用具係」を意味するこの職業は、ヨーロッパなどのサッカー強豪国では、ごく当たり前の存在である。FC東京に所属する山川幸則さんは、スペインでの修業経験を持つ日本では数少ないホペイロだ。
一念発起
山川さんがホペイロという仕事を知ったのは中学生の頃、テレビでブラジルのホペイロの特集番組を見たときだった。自らサッカーをプレーしていたこともあり、裏方としてサッカー界にかかわっていける仕事に興味を持った。
その後、まったく違う分野に進学、就職するが、サッカーへの情熱は捨てることはできなかった。仕事を辞め、アルバイトをしながらホペイロを目指すことを決意する。しかし、現実は厳しかった。ホペイロは大学のマネージャーなどの裏方の経験者がなる場合が多く、素人がなるのは難しい。そこで、海外のクラブで修業をしてきたという肩書を得るために知り合いのサッカー関係者に相談し、ヨーロッパへ渡ったのだった。
まさかのスペイン行き
最初はイギリスへ行く予定だったので、辞書も英語のものしか持っていなかった。しかし、ロンドンに着いてから急きょ行き先がスペイン北部の町、オビエドに変わってしまう。何の準備もない状態でのスペイン生活のスタートだった。「今考えればすごいことですよね」。当然給料はなく、食べることにも困る日々。しかし、得たものは大きかった。「スペインでは、人々の生活がすべてサッカーとつながっている。町の人たちはクラブを誇りにしているし、試合の日には飲み屋でみんなで観戦する。そういった雰囲気を味わえたのはよかった。チームが1部残留を果たせた試合に立ち会うことができたのが1番の思い出です」。
当時のオビエドは、1部リーグに当たるリーガ・エスパニョーラに属していたので、スター選手も在籍していた。そんな強豪クラブで働く山川さんの姿は、オビエドの人々の目にも珍しく映ったのだろう。地元のテレビや新聞に特集が組まれ、サポーターの間でも話題になった。「テレビを見た地元のサポーターの人達が、クラブハウスに僕の待遇について抗議しに来てくれたんです。そうして、選手会の食事会などにも呼んでもらえるようになって、だいぶタダ飯を食わせてもらいました(笑)」
帰国後、Jリーグのクラブに売り込みをし、2000年にFC東京に加入。スペインにいた頃に日本のメディアの依頼で書いていたコラムを、FC東京のフロントの人が読んだことがきっかけだった。
集中力のいる仕事
ホペイロの仕事は多岐にわたる。試合の日は選手、トレーナーの荷物の管理に加え、芝の状態などのチェック、ロッカーのセッティング、選手の着替えやドリンクの準備、片付けなどがあり、試合を見ている暇がないほど忙しい。また、ホームゲームの時には自らトラックを運転して、荷物の運搬を行うことも。
通常の練習の日は前日に残した洗濯物や用具の片付けに始まり、練習で使う用具の準備と片付け、練習の手伝いもする。そして練習後は、選手のスパイクのケアだ。30人近い選手のスパイクの手入れをするのはなかなか大変で、はじめの頃は時間もかかった。また、湿気、乾燥対策も怠ってはいけない。「選手ごとの注文やこだわりもあるので、コミュニケーションは毎日取るようにしています。信頼関係が重要ですね。集中できるような静かな環境でやるのがこだわりです。少し寂しいですけれど、間違いがあってはいけない仕事ですから」
プロとして甘えていられない
すでにFC東京でホペイロをはじめて7年。数々の経験を経て、日々成長を続けている。「ここでは、はじめからプロとして扱われたので、『わかりません』とか甘いことは言ってられませんでした」。以前はすべての選手にまで気が回らず、妥協せざるを得ないこともあったし、選手から怒鳴られたりもした。しかし、それはまだ信頼関係ができていなかったからだと、山川さんは振り返る。選手から確かな信頼を得ること、そのことが目標になった。何か問題が起きたらすぐにメモをとり、試行錯誤を繰り返すことで、今ではスムーズに仕事がこなせている。
日本は、世界の強豪国と比べるとホペイロが少なく、Jリーグにも「用具はすべて個人管理」というチームがある。現に代表チームにもホペイロはいない。「荷物はすべて個人で管理するというのは、別に悪いことではないと思います。古き良き日本の姿ですしね。でも、やはりビッグクラブになればなるほど、ホペイロはいて当たり前の存在だと思います。何かトラブルがあった時にすぐ対応できますから」。そう語る山川さんからは強い責任感が感じられた。
生涯ホペイロ
これからの夢を尋ねると、山川さんは笑ってこう答える。「クラブとしては、アジアチャンピオンズリーグを勝ち上がってクラブワールドカップに出場すること。あと、個人としては、できるだけ長くこのクラブで働きたいです」。海外では、地域のおじいさんがホペイロをすることも珍しくない。「できれば生涯現役でいて、自分が死んだときに味の素スタジアムの電光掲示板に写真が載ったりしたら最高ですね」。そう語る山川さんの胸のFC東京のエンブレムは、誇らしげに光って見えた。穏やかな口調から、サッカーへの情熱、そしてFC東京というクラブへの愛があふれていた。
決して表舞台に出る仕事ではない。しかし、山川さんのサポートがピッチの中での勝利を導く。
1975年11月10日生まれ。東京都世田谷区出身。
短大卒業後、一旦は就職するが、ホペイロを目指すためアルバイト生活を経て
単身スペインへ渡る。スペイン1部(当時)のレアル・オビエドで3カ月間修業に励み、
2000年にFC東京に加入。














