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華硝 亀戸駅を出た私の目に飛び込んできたのは、賑やかな街並みだった。 これまで伝統工芸に対して抱いていたイメージと目前に広がる街との間には大きな隔たりがあった。 そのギャップに一瞬戸惑った後、われに返り、亀戸の街を再び歩き始めた。 建物の外観は普通の住宅とほとんど変わらず、「町工場」という固い雰囲気はなかった。 インターホンを押し、緊張した声で用件を告げると、社長の熊倉さんは私たちを温かく迎えてくれた。 3階のショールームへ上がるように勧められ、中に入り階段を上ると、 そこにはさまざまな色と形の美しい切子細工が並んでいた。
それぞれの切子には、手作業とは思えないほどに繊細で正確な模様が施されていた。
そんな切子細工に囲まれた中、我々は取材を開始した。「伝統とは守るものではない、新しくしていくものだ」。熊倉さんは言う。 「古いものをコツコツといつまでも続けてゆく、そんな伝統はもう終わり。今は『古くて新しいもの』を作るのが伝統だ」 華硝は伝統にこだわらない。常に新しいものを求めている。創業してから57年が経つが、 工程やデザインは創業当時とは全く異なるそうだ。 「伝統工芸に対する誤解は多いですね。若い人たちには実際の姿を分かってもらいし、伝えて欲しい」と社長夫人は語る。 確かに、伝統工芸と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、時代の流れに適応することなく、 長年受け継がれてきた伝統を黙々と守る人々の姿、というイメージかもしれない。 それだけに、熊倉さん夫妻のものづくりに対する姿勢は私たちの眼に新鮮に映った。 その後、我々は熊倉さんと共に工房へ足を運んだ。工房では5、6人の若い人が切子を作っていた。 その中の1人に切子細工を造る工程を説明してもらった。 @作品の土台となる生地(グラス、椀、皿など)を仕入れる。 色や形ははじめから決まっているので、ここでデザインを考えることもあるという。 A生地に傷や泡がないかをチェックする。傷や泡があっても、模様でごまかせるものは利用する。 B油性マジックで生地に彫る模様を描く「割り出し」という作業を行う。 そしていよいよ模様を彫り始める。 C「荒ずり」といい、グラインダーというダイヤモンドのつぶの入った 金属の歯車のような形をした刃を回す機械でマジックに沿ってだいたいの模様をつける。 D荒ずりで使ったものよりもさらに細かい刃で模様をつける。ここで切子細工のあの正確で繊細な模様が掘り出される。 そして仕上げに入る。 E「三番掛け」といい、ガラスを半分混ぜた水を流しながら作品を砥石で削る。全体が透明になったら「艶出し」をする。ラシャという布を円盤状にして回し、研磨剤をつけながら磨く。 F最後にマジックを洗い流し、ようやく完成する。 全工程にかかる時間は、一つの作品につき、短いもので一時間、長いもので2、3日だ。 華硝の江戸切子は、伝統工芸だからといって、デザインの上ではこれといった特別な決まりはない。 デザインは工房にいる一人一人が行うので、作品は個性であふれている。1つの作品を1人で作り上げることがほとんどだが、全工程を数人で分担することもあるという。 工房で働く人の年齢層は若く、二十代前半から三十代後半だ。 「うちでは見習い期間はない。ここは入ったときから出来て当たり前の世界。 教わって切子が作れるのは当然だ。大切なのは自分でどんな作品が作れるか、だ。 うちでは教えるべきことは濃縮して教える。極端に言えば、大学の四年間の教育を一年間で教えるようなものだ」 と熊倉さんは語る。 濃縮されたものを教わるのだから、教わる側の負担は大きい。 「慣れるまでが大変だった」と工員の一人はふり返る。厳しい世界だ。 しかし彼らの表情からはそんな厳しさは伺えない。終始笑顔の彼らはこの仕事を楽しんでいるようだ。 楽しくなければ良い作品を作り上げることも、さらには作品作りを続けることもできないのだろう。 社長夫人は「日本ではものづくりはデスクワークよりも軽く見られがちだ。 しかし、与えられたことをそのままやる仕事よりも、 自分を表現する仕事の方がずっと難しい。 うちにいる人は皆、勉強熱心だ。 勉強の嫌いな人は、ここはもちろん、どこで何をやってもダメだろう」と語った。 ガラスは万国共通のものである。ガラス文化は形こそ違うが、世界各国に定着し、今日に至る。 華硝は日本で成熟したガラス文化、江戸切子を海外に紹介する偉業を成し遂げている。 数ヶ月前はドイツのヴェルツブルグの美術館に展示された。今後はロンドンでも展示される予定だ。 アメリカへ輸出もされている。 そして昭和60年7月、東京の伝統工芸品産業に指定された。 ついつい誤解されがちなのは、「後継ぎがいないのではないか」ということ。 しかし、華硝ではそんなことはない。働くことを志望する人は、後を絶たないという。 「私の仕事は前の代から後の代への中継ぎ。」と熊倉さんは言う。 彼の後は、ロンドンに留学予定の息子さんが継ぐそうだ。 華硝の未来は明るい。 帰り道、私は不思議な充実感を味わっていた。 華硝を訪ねる前に抱いていた伝統工芸に対する先入観は崩れ去り、私自身の新たな視野が開けた気がした。 亀戸駅に初めて降りたときは、伝統工芸の町工場の在る町として違和感を覚えたが、 取材を終え、亀戸駅に戻るころには、いつの間にかそんな違和感はなくなっていた。 【高野英二】 参考URL:華硝 |